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もくじ
『恋人たちの予感|When Harry Met Sally』プチ情報
80年代最後のスマッシュヒット、映画『恋人たちの予感|When Harry Met Sally…』は、恋愛映画として古典的な存在感を持つ作品です。ロブ・ライナー監督とノーラ・エフロンによる脚本が巧みに織り成す会話劇は、恋愛と友情、そして人間関係の複雑さをシニカルかつユーモラスに描き出しています。色んな所で語り尽くされている作品ですが、その独特な魅力を掘り下げてみましょう☆彡
『恋人たちの予感|When Harry Met Sally』のあらすじ
同じシカゴ大学を卒業したハリーとサリー。共にNYで社会人生活を開始する為、NYへ車で一緒に行く事に。18時間の道中、初対面の二人は恋愛事情も含めて様々な事柄を話し合う。中でも、「セックス抜きで男女の友情は成立するか?」というテーマで二人は真っ向から対立。性格が合わないと悟った二人は、NY到着後は二度と会うことはないだろうと確信して別れる。数年後、飛行場で再会した二人。機内で会話をするうち、サリーはハリーがもうすぐ結婚することを知る。しかし、数年後に二人が本屋で再会した時、ハリーは離婚寸前だった。
『恋人たちの予感|When Harry Met Sally 』予告編
出典元:Shot! Studios|Official Trailer
『恋人たちの予感|When Harry Met Sally』の作品情報/キャスト
原題 | When Harry Met Sally |
公開 | 1989 |
ジャンル | 恋愛 |
監督 | ロブ・ライナー |
出演 | メグ・ライアン、ビリー・クリスタル キャリー・フィッシャー、ブルーノ・カービー |
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『恋人たちの予感|When Harry Met Sally』のレビュー・感想・考察(ネタバレ注意)
以下は本作に対するmmの感想と考察です、ネタバレが含まれますのでご注意ください
友情と恋愛の境界線
『恋人たちの予感』のテーマは、「セックス抜きで男と女の友情は成立するか?」。
主人公ハリーとサリーは、第一印象最悪、真っ向から対立するものの、その後も何年かおきに偶然再会し、最終的に親友としての関係を築く。
ハリーは序盤で「男女間に真の友情は存在しない」と断言し、その理由として「女性の性的魅力が常に障害になる」と主張。一方、サリーはこれに反論し、異性間の友情の純粋さを信じている。
この対立が物語全体を通じて繰り返される。最終的には二人が恋愛関係に発展することで、ハリーの考えが正しかったかのように見える。
しかし、実際にはこの映画は単純に異性間の友情が不可能だと主張しているわけではない。むしろ、長い友情の中で築かれた信頼や親密さが、恋愛へと自然に移行することもあるという、より柔軟な見解を提示している。
友情と恋愛の境界線は曖昧であり、それを超える瞬間は意外に自然であることを、この物語は巧みに示している。
それは、ラストでハリーがサリーにプロポーズするセリフでとてもよく表現されているだろう。シンプルなのに、最もロマンチックなセリフである。
「一日の終わりに話したいのは、君だ」
時間と変化
この映画は、時間の経過とそれに伴うキャラクターの成長を丁寧に描いている。
ハリーとサリーの関係は、時間とともに徐々に変化する。初めて出会った時の二人は、見た目、性格的にも価値観的にも大きな隔たりがあり、互いに相手を好ましく思っていなかった。寧ろ、二人共がお互いを生理的に受け入れがたいと確信し、二度と会うことはないと思ってその場を別れる。
しかし、二人共社会の荒波にもまれ、10年以上にわたる再会と共通の経験を通じて、互いの存在がかけがえのないものへと変わっていく。
大きな変化は、ハリーが結婚と離婚を経験したというのがあるかもしれない。ハリーは妻から好きな人ができたと別れを告げられた。苦い経験を経たハリーは人間としての経験値を上げ、サリーの人間的魅力、可愛らしさやユーモアセンスを理解するに至った。
だから、ハリーがサリーに歩み寄った風に見える。サリーも社会人としての経験値をあげ、恋人にもフラれるものの、ハリーと出会った時から成長したかというとそれ程顕著なものは見いだせない。丸くなったハリーと友人関係を築くことは、ハリーが尖った性格ではなかったならできただろうと想像する。
いずれにせよ、物語で強調されるのは、恋愛は瞬間的な感情や一時的なロマンスだけではなく、時間と共に育まれるものであるという考えだろう。映画の中で時間が持つ意味は、ただの経過を示すだけではなく、感情や人間関係が成熟し、変容するための重要な要素として機能している。
人生の異なる段階において、同じ相手に対する見方や感じ方が変わっていく様子を描くことで、映画は恋愛の多層的な側面を浮かび上がらせている。
漫画「ピーナッツ」のような会話劇
『恋人たちの予感』の最大の魅力の一つは、その会話劇。ノーラ・エフロンの脚本は、ウィットに富んだダイアログと、リアルで共感できる感情の描写を絶妙に融合させた。
ハリーとサリーが交わす会話は、その独特なテンポと鋭いユーモアで、多くの観客の心を掴む。二人はが一緒にいると会話の嵐だ。
そして、会話のスタイルには、チャールズ・シュルツの漫画「ピーナッツ」に酷似していると思っているのは私だけだろうか。
「ピーナッツ」では、子供たちが哲学的な議論を展開し、人生や人間関係についてシニカルでユーモラスな対話を繰り広げる。『恋人たちの予感』も同様に、日常的な出来事や感情をテーマに、深く洞察的でありながら軽妙な会話を中心に進行していく。
まず、両者に共通するのは、キャラクターたちが抱える「自己認識と不安」を率直に語る点。「ピーナッツ」では、チャーリー・ブラウンをはじめとする登場人物が、自己不信や孤独、人生の不条理について言葉にする。同じように『恋人たちの予感』でも、ハリーとサリーは自身の恋愛観や孤独、老いに対する恐れなど、現実的な問題を率直に議論する。
ハリーのシニカルなユーモアは、しばしばシュローダーやライナスといった「ピーナッツ」のキャラクターの哲学的な発言を思わせる。一方で、サリーの細かいこだわりや感情表現の微妙さは、ルーシーの現実的で少し頑固な側面を感じさせるものがある。
次に、「ピーナッツ」における子供たちの会話は、大人びている一方で、そのシンプルな語り口が人生の真理を鋭く突いている。『恋人たちの予感』でも、ハリーとサリーの会話はシンプルかつ直接的。恋愛に関する彼らの議論は、複雑な感情を扱いながらも、会話のリズムは軽快でウィットに富んでいます。例えば、ハリーが「男女間に友情は成立しない」と断言するシーンでは、その結論に至る過程がコミカルでありながらも、根本的な人間関係の真理に触れている。このようなやり取りは、「ピーナッツ」のキャラクターたちが、人生の難問を語り合う際の軽妙さと共通している。
また、『恋人たちの予感』における会話劇の特徴は、「言葉の裏にある感情や葛藤を、ユーモアを通じて表現する」という点にある。ハリーとサリーのやり取りは、一見すると軽口や冗談の応酬に見えるが、その背後には、恋愛に対する不安や孤独感、人生への漠然とした疑問が流れている。「ピーナッツ」のキャラクターたちも、同じように表面的には子供らしい愚痴や遊びの会話をしているようで、その実、彼らが抱える内面的な葛藤や成長の痛みが反映されている。特に、チャーリー・ブラウンの内面的な悩みや孤独は、ハリーがしばしば見せるシニシズムと共鳴する部分が多い。
「ピーナッツ」のその他の特徴に、会話がしばしば結論に至らないで終わる点がある。登場人物たちは問題を解決するのではなく、考え続け、葛藤し続ける。『恋人たちの予感』でも、ハリーとサリーの会話はしばしば結論を出さないまま進行し、観客に考えさせる余地を残す。恋愛や友情に対する彼らの議論も、明確な答えを出さないまま、二人は成長し、関係が変化していく。この「未完のままの対話」という構造が、作品全体にリアリティを与え、視聴者に彼らの感情に共感させる要因となっている。
というわけで、『恋人たちの予感』における会話劇は、まるで「ピーナッツ」の世界を大人に拡張したような印象を与える。哲学的でシニカルな会話、感情の裏にある不安や孤独、そして未解決のまま続く人生の問い。これらの要素が、映画を単なるロマンティック・コメディ以上のものに昇華させ、「ピーナッツ」的な知性とユーモアを感じさせる要因となっている。
本作でアメリカンスイートハートに上り詰めたメグ・ライアン
メグ・ライアンがこの映画で「アメリカンスイートハート」の称号を手に入れたのは、まるで彼女がオーダーメイドしたかのような完璧なキャリア転機だった。まさに、彼女演じるサリーがレストランで細かい注文をつけるシーンのように、メグ・ライアンは観客の心に「理想的なヒロイン」を見事にデザインした。
「お湯は熱すぎず、トーストは別皿で、でも感情はたっぷり。」そんな風に、彼女はロマンティック・コメディに求められる全ての要素をオーダーし、自分流に仕上げ見事に演じ切った。
メグ・ライアンの天真爛漫さと、シンプルな可愛らしさは、80年代の終わりから90年代にかけてアメリカの映画界を席巻。『恋人たちの予感』では、彼女のサリーが登場するたび、観客は「この女性はきっと私たちの友達になれそうだ」と感じたでしょう。
彼女は、ただ美しいだけのヒロインではない。ユーモアがあり、ちょっと神経質で、でもどこか憎めないキャラクター。それまでの典型的なラブコメの女性像を塗り替え、観客に「完璧すぎない女性の魅力」を強烈に印象づけた。
あの有名な「デリカテッセンでのシーン」。この映画を観た全米の観客は、突然、女性がどれほどリアルな感情を表現できるのかについて、まざまざと思い知らされた。サリーが食事中に「エクスタシー演技」をする場面は、ウィットに富んだ彼女のコメディセンスが存分に発揮された瞬間だった。
このシーン、実際のデリカテッセンの客までもが驚き、終いには「私も彼女と同じものをお願い」と言わしめるほどの衝撃的かつユーモラスな名場面に。これはまさに、メグ・ライアンが「アメリカンスイートハート」としての地位を確立した瞬間だったと言えるだろう。
メグ・ライアンの成功の裏には、彼女の「等身大の女性像」がある。彼女のキャラクターは常にどこか共感を呼び起こす。サリーが持つ「完璧主義」や「細かすぎる注文」も、愛嬌たっぷりに演じられることで、逆にチャーミングに感じさせてしまう。例えば、サリーの食事に対する強いこだわりは、普通なら「面倒くさい」と思われがちだけど、メグ・ライアンの手にかかるとそれがユーモラスで愛らしい要素へと変わる。この「ありのままの女性」をポジティブに描く手法が、観客を虜にし、彼女をただの美人女優ではなく、誰もが憧れる「身近なスイートハート」に変えた。
さらに、メグ・ライアンの魅力は彼女の繊細な感情表現にもある。『恋人たちの予感』の中で、彼女はラブストーリーの中にある甘さと苦さ、切なさを自然体で演じている。サリーはしばしばハリーに対して意地っ張りな態度を取るが、それが彼女の本心ではないことは一目瞭然。メグ・ライアンは、その複雑な感情をわざとらしくなく、むしろ軽やかに表現することで、映画全体にユーモアと感動を織り交ぜました。
そして何より、メグ・ライアンが「アメリカンスイートハート」として輝いた理由は、彼女の「手の届きそうな」美しさだろう。彼女のルックスは、誰もが憧れるモデルのような完璧さではなく、親しみやすくて少しキュートな印象を与えた。それが彼女の魅力を一層引き立て、観客に「私にもこんな恋愛ができるかも」と思わせる力を持っていた。
『恋人たちの予感』は、メグ・ライアンのキャリアにとって大きな転機であり、彼女を国民的アイドルへと押し上げた。その後も『めぐり逢えたら』や『ユー・ガット・メール』といったラブコメディで、彼女は「アメリカンスイートハート」の座を不動のものにして行った。しかし、その頂点に立った瞬間は、間違いなく『恋人たちの予感』での彼女の活躍があったからこそである。
『恋人たちの予感|When Harry Met Sally』のまとめ
- 『恋人たちの予感』のテーマは「セックス抜きで男と女の友情は成立するか?」
- 第一印象サイアクな二人が人生経験を経て友人関係となり結婚へ至る過程を丁寧に描写
- ウィットに富んだ会話劇は万が『ピーナッツ』で繰り広げられる哲学的でユーモラスなやり取りと酷似
- 本作でアメリカンスイートハートに上り詰めたメグ・ライアンの出世作