わたしは最悪。(2021)|The Worst Person in the World☆ノルウェー|ヨアキム・トリアー|レナーテ・レインスヴェ 

すてきなドラマ

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自虐的な邦題に惹かれて観ました!ラース・フォ・トリアー監督の甥にあたるヨアキム・トリアー監督による「オスロ三部作」の第3作。性に奔放な現代女性が数々の恋愛を経験しながらも自分んお適性を探し求める姿を丁寧に描いてます。明るくポップな映像も見どころです☆彡

ユリヤは成績優秀で医学部に進学したが何だかしっくり来ないと思い、心理学へ転籍。しかしそれも暫くするとしっくり来ない。自分はビジュアルが好きだと写真家に転身。それも継続しなかった。コミュニケーション能力は高いためその場その場で男と出会い、恋愛を謳歌する。30歳を迎えようとするユリヤは漫画家のアクセルと同棲していた。本屋でアルバイトしながら執筆活動をするも、いまだ人生の方向性が定まらずにいた。ある日、無断で潜り込んだ見ず知らずの結婚パーティで魅力的な男と出会う。

出典元:MUBI|Official Trailer

原題The Worst Person in the World
公開2021
ジャンルドラマ
監督ヨアキム・トリアー
出演レナーテ・レインスヴェ、アンデルシュ・ダニエルセン・リー、
ハーバート・ノードラム
第74回カンヌ国際映画祭女優賞
第94回アカデミー賞国際長編映画賞・脚本賞ノミネート
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※詳細はYouTube参照
※2024年4月時点の情報です。情報には変更がある場合がありますので、必ず各サイトをご確認ください。

以下は本作に対するmmの感想と考察です

ユリヤは人生の方向性に迷いに迷っている20代の女性。一方、同棲相手の漫画家は40代半ばでそろそろ家庭を持って子供のいる暮らしをしたいという希望がある。安定したい恋人と、まだまだ色々挑戦したいユリヤ。二人は子どもを持つことへの考え方の違いから一旦は別れようとするも、離れがたく、同棲を継続する。

しかし、ユリヤは目移りの激しい性分である。「自分はコレ!」というものに出会った経験がないからなのかもしれない。その点、同棲相手のアクセルは漫画家として既に成功している。若い時に漫画に出会った衝撃が漫画家になるきっかけとなったという。

やはり人生においてそういうインパクトのある出会いでもなければ、「自分はコレだ!」と人生の方向性を決断することはなかなか難しいだろう。なぜなら、他の選択肢も多い世の中だから。

恐らく、ユリアのように、特段衝撃的な出会いを持つことが無かったという人の方が多数派ではかろうか。だからこそ、多くの人が会社員をやることで社会が成立しているとも言えるのでは。皆が皆名前のある職業に就くことを目指すと社会は成立しない。1回きりの人生をどのように使うはその人次第だ。

ユリヤのように「何者かになりたい」と模索する姿は、よくある衝動である。寧ろ、どう生きるかということを真面目に考えている故とも言える。

他方、仕事で自己実現を試みず、趣味を謳歌することに人生を捧げるというタイプも多い。仕事か趣味かの二者択一ではないが、誰しも自分は何に重点を置いてどう生きるかということを無意識のうちに考えて行動している。

そういう意味では、本作は人間の悩みの中でも普遍的なテーマを描いている。鑑賞すると多くの人が何かしら考える所が多いのではないか。特に、若い人には共感されるであろう。

「わたしの人生なのに、傍観者で、脇役しか演じられない。」

このセリフは唸ってしまう。この作品の言いたいことはこのセリフに尽きると言っても過言ではない。ユリヤがアクセルとの別れ話の中で言い放つセリフである。私もずっとこの感覚を背負って生きているので、大いに共感する。

自分が何をして生きていきたいか、何に適性があるか。それを知りたいとずっと願いながら、本能の赴くままに何でもトライしていく積極的なユリヤだが、目移りしてどれもこれも長続きしない。

彼女は成績優秀で医学部に入学したものの、色々あって30歳目前には本屋のアルバイトである。未だ人生をかけてやりたいことにユリヤは出会えていない。

自分が寝食を忘れて情熱を注ぐことができるものは何か。それは仕事とは限らないが、ユリヤの場合は子育てではないことは早々に気付いている。

女性も男性並みに働きたいと願う人が多くなってきた中、ユリヤのようにまずは仕事で満足行く道筋を立てたいと悩む女性は多いだろう。

恋愛に奔放だけれども、結婚ではなく仕事に人生の優先順位を見出す女性の悩める姿をサラっと描いている。よくよく考えると非常に現代的なテーマである。

ユリヤはスタイル抜群で美人、かつ明るい性格というだけあって、出会う男と次々に恋に落ちる。天職を見つける旅の途中でその都度男に出会う。いわゆる男日照りのない女。

しかし、彼女は幸薄い感じがしてならない。相手がいても平気で他の男性を追い求め、相手は簡単に見つかるものの、新しい相手が日常に入ると幸福度が下がる。それはユリヤが性欲は旺盛であるが、恋愛至上主義者ではないからだろう。男を求めるものの、実はそれ程重要視していないという女性像は中々珍しいのではないか。

だから、同棲相手が希望する「家庭を持つ幸せ」が目の前にぶら下がっていても、それを摘みに行くことはない。彼女の幸せは、「現時点は」そこにはないことを彼女は十分知っている。

しかしそういう女性も、30代後半になってくると、もしかしたら「やっぱり子供が欲しい」に方針転換することは大いにあるけれども。

だから、ユリアは恋愛経験豊富でモテモテであるのに、ちっとも幸せではあい。同棲も長くなるとユリア自身が相手に飽きてしまう。

彼女の人生の旅と恋愛は同時進行で描かれ、彼女の行く先々で恋愛相手に出会う。恋愛のシーンが多く描かれているため恋愛映画と見てしまいがちであるが、恋愛映画として見てしまうと趣旨をくみ取りにくく、恋愛に奔放な主人公という点を捉えがちになるため、ドラマとして見た方がいいであろう。

ユリヤは、自分が振って恋愛を終了させる恋愛勝者。黙っていても、授業を受けていただけで教師に見初められる程だ。彼女が一声かければいとも簡単に恋愛対象は見つかる。

しかし、ユリヤは恋愛中毒にはならない。寧ろ、恋愛が上手く行き過ぎて、恋愛に興味を失う。そして、私は愛されることではなく、自分がしたいことを見つけたいと。恋愛弱者にとっては、何とも羨ましい限り。恋愛三昧なのに、恋愛が成就すると途端に恋愛には興味を失う。

物語のラストでユリアは妊娠していなかった(または流産した)ことで安堵の表情を浮かべる。ユリアは自分が未だ母になる準備はできていないことを良く知っているからだ。

そして、彼女は同棲相手とも別れ、初めて一人暮らしをし、フリーのカメラマンで生計を立てる。

かつての恋人をがんで亡くし、子供は授かることはなかったが妊娠も経験した。それなりに人生経験を経て、自分は今何をしたくて、何に時間を費やすべきか、ようやく明確になった。

彼女が学んだことは、恋愛では自分の追い求めている物は見つからない。彼女はそれに漸く気付いたということかと思う。

そして、ユリアは初めて自分の人生の主役になれたのではないか。

  • 人生の方向性に迷う若者の姿を丁寧に描いいたドラマ
  • 性に奔放で恋愛の描写が多いが、恋愛映画ではない
  • 恋愛豊富であるのに、まずは仕事で道筋を立てたいと願う女性を描くのは現代的
  • ある意味不器用で、暗中模索をし続ける主人公に大いに共感
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