パラレル・マザーズ(2021)☆スペイン|ペドロ・アルモドバル|ペネロペ・クルス

すてきなドラマ

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同じ産院でほぼ同じ時刻に娘を出産した二人の女性、写真家のジャニスと17歳のアナ。二人とも予期せぬ妊娠だったため、シングルマザーを決意していた。出産後、ジャニスは、娘の父親である不倫相手に娘を見せると、顔が自分と似いていないので自分の子供とは思えないと言われてしまう。怒りつつも不安になりDNA鑑定を受けると、生物学的な母娘関係ではないという結果が。パニックになりつつも誰にも言わずに娘を育てていた所、家の近くのカフェでアナと再会する。すると、アナの娘は原因不明の乳児無呼吸により突然死したと聞かされる。

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スペインの映画監督、ペドロ・アルモドバルの作品です。産院での子どもの取り違えという重いテーマを扱っていますが、アルモドバル作品ではとても観易いものではないかと思います☆彡

出典元:Sony Pictures Classics/Official Trailer

原題Madres paralelas
公開2021
ジャンルドラマ
監督ペドロ・アルモドバル
出演ペネロペ・クルス、ミレナ・レミット
イスラエル・エレハルデ、ロッシ・デ・パルマ
アイタナ・サンチェス=ギヨン
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以下は本作に対するmmの感想と考察です

アルモドバル作品にしては全くグロく無い。子どもの取り違え、輪姦等、ショッキングなエピソードであっても、カラフルなインテリアやファッションと共に重たくなくサラリと描いていて、非常に観やすい作品だった。

まるで最近のウッディ・アレン映画のように、観易い。最近のウッディ・アレン作品は本人が登場しない。メガネの風采の上がらない小さいおじさん不在で、誰の作品だったかわらかなくなって、空気が非常にライトになった。本作も、アルモドバルが年を取ったせいか、ギラギラして油ぎったところが抜けてきて、いい塩梅に枯れて来てガツガツしていない。

アルモドバル作品で一番観ていて陰鬱になったのは、『私の、生きる肌/La piel que habito/The Skin』(2011)。天才形成外科医が娘を自殺に追いやった娘のボーイフレンドに性転換手術を施し、かつ、亡き妻の顏とそっくりに整形し軟禁し、愛し合う(?)話。マッド・サイエンティストによる盛沢山の犯罪と性欲てんこ盛り。気持ち悪さ満載で、もうアルモドバル作品は一生分観た気にさせる作品だった。

そんな「個人の人間の欲望」が爆発した作品に比べると、本作は個人に起こった話(子どもの取り違え)をテーマにしつつも、人間の運命という少し広い視点で描かれている。

ジャニスが住む家のドアの飾り、内装、壁の色、テラス、家具、服装等がビビッドでカラフルなセンスの良いものが多く使われていて、オシャレで美しい映像が楽しめるのも、重苦しくならないライトな印象に一役買っている。やはり、一見してヨーロッパ映画であるというのがわかる。

子どもの取り違えという重いテーマを扱っているが、それだけではない。

中盤までは子ども自分の子供でないのではないかという疑いから始まり、DNA鑑定を経て取り違えられたと確信し葛藤する様子が描かれるが、後半以降は、比重は小さいもののもう一つのテーマ、主人公ジャニスが曾祖父母がスペイン内戦で集団殺戮され、その遺骨を発見して埋葬するとう活動にも焦点を当てている。

二つ目のテーマ、スペイン内戦下の集団殺戮は、子どもの取り違えとあまりにもかけ離れていて、無くても良い視点ではなかったのかと思う人も多いだろう。取って付けたような盛り込み方という感じは否めないが、本作を俯瞰するとその意図が少し理解できたのではないかと思う。

つまり、人の生き死には全く誰の意思をも介在しないとうこと。至極当然の話である。人は出生にあたって、国、人種、親、時代、容姿の選択の余地はない。それは、死にあたっても同じことが言えるということではないか・・・。

出生の選択ができないという部分が予期せぬ妊娠と子どもの取り違えを象徴とするパート。そして、死の選択ができないという部分がスペイン内戦下における集団殺戮のパート。

人生を生き抜こうと一生懸命頑張ったとしても、スペイン内戦というどうにもならない不可抗力で突然人生が強制終了させられる事態もある。

ラスト、曾祖父母を含む地元の人々の集団殺戮現場を発掘して、殺害された当時の状況が映し出される。殺された人々が土に掘られた穴に横たわって積まれている風景を見て、命を全うすることができなかった無念が伝わる。子孫は発掘された骨の数々を見てショックの表情を浮かべつつ無言で立ち尽くしている。

子どもの取り違えのパートとスペイン内戦下の集団殺戮のパートを合わせて考えると、親がどういう経緯で自分を妊娠しこの世に誕生させるに至ったかということにこだわるのではなく、どのような経緯があれ生まれてきてくれたという事実に感謝しなければ・・・、先祖の無念も含めて、前向きに命を繋いでいきましょうということなのかな、と解釈した。

きちんとした病院の検査ではなく、郵送でできるDNA鑑定の結果を受けて、泣く泣く娘をアナに引き渡したジャニス。しかし、そんなジャニスを神は見放さない。集団殺戮現場での遺骨発掘活動を通じて、ジャニスと不倫相手は復縁し、再び妊娠した。不倫相手は、彼の妻と離婚手続きに入ると言う。状況は1回目の妊娠の時よりも好転しそうであると匂わせる。

ハッピーエンドと言えなくもない。アルモドバル作品はドロドロしたテーマを扱いつつも、前向きな終わり方である。

産院で取り違えがあったのではないかと疑いがあるのであれば、そう思った時点ですぐさま産院に問い合わせるのが普通だろう、という突っ込みは誰もが入れるのではないか。それに、DNA鑑定するのであれば母娘ではなく父娘ではないか、という突っ込みも当然と思う。疑いを言い出したのは不倫相手の父親の方なのだから。

しかし、アルモドバルは常識的なアプローチはすっ飛ばして細かく描かない。あくまでも、インターネット経由で申し込めるDNA鑑定サービスで生物学的な繋がりは100%ないという結果だけを受けて判断する。通常行われる客観的な証拠集めをし尽くして結論を出すということはない。

また、アナがジャニスからDNA鑑定の結果と産院での取り違えについて聞かされたとき、混乱はするものの、すぐさま母性を現し自分の子供として育てる決意を見せジャニスに別れを告げて家を出る展開は、あまりにも早すぎる。

輪姦による出産という深刻なテーマも、サラリと台詞の中でエピソード的に盛り込んでいる。

少しの情報と主人公の主観で推し進める物語の流れ方に、中途半端な描き方でついていけないと感じる観客も多いのでは。

主人公たちは起こった事件を深堀りしない。達観しているというか、なすがままに次々に起こる出来事を受け入れているように感じる。アルモドバル作品では多くみられる表現方法だ。

映画における物語の描き方は何でも許される。芸術作品であればアンリアルな描き方は日常茶飯事だ。だから、観客もそこ汲んで観賞しなければならない。現実と対応して観賞すると何を描いているか掴めない迷路に陥るだろう。しかし、観客は芸術家ではないので、アンリアルが過ぎるとコメディになってしまうので、アンリアルな描き方の匙加減は重要だ。

出来事の細部を描かず、淡々としていてリアリティを追求しないため、何を描いているか解らないという人も多く、賛否は別れる作品だろう。

アルモドバルの作品を観ていると、いつもテーマになっているのは女性、女性の生き方、人間の性欲。

人間の性欲は大抵、同意のない性交渉、つまりレイプとして盛り込まれることが多い気がする。

『トーク・トゥ・ハー』(2002)。看護師(ハビエル・カマラ)が昏睡状態になった憧れの女性(レオノール・ワトリング)妊娠させる。性犯罪として看護師は裁かれ、一方、女性は妊娠し昏睡状態から目覚める・・・。俳優による直接的な描写ではなく、昔のサイレント映画で小さくなった男性が女性の膣に入るというアニメのような劇中劇でもって性交渉を表現したので、幾らかショックは緩和されたものの、眠っている人を犯すという行為が観賞当時ショッキングなものがあった。

前述の『私の、生きる肌/La piel que habito/The Skin』でも、勿論同意のない性交渉は描かれている。

同意のない性交渉が描くかれていると、それを盛り込む意図は何かといつも思う。伊丹十三の『静かな生活』(1995)でも描かれていて、そういうシーンを観るのはしんどく、全く楽しめない。『静かな生活』においては劇中劇としても描かれていて、物語上必要不可欠と到底思えなかった(原作の小説に描かれているのかもしれないが)。

80年代の作品を観ていると、物語開始から1時間ちょっと過ぎたころになると、主要登場人物の男女によるベッドシーンが描かれていることが多い。観客へのサービスショットである。2時間ドラマで温泉の入浴シーンがあるが、それと似ている。

本作では同意のない性交渉=輪姦が直接的に描かれてはないものの、何故アナが妊娠した経緯をそこまで悲惨な設定にしているのかは解らない。どうしても、単に、ある観客は、そういう性交渉があったというエピソードを想像するたけで性的興奮を覚えるからという理由で、物語に盛り込まれている感じがしてならない。

そう言えば、他の作品でも同様のケース(昏睡状態の人への性犯罪)が描かれていた。『ガープの世界/The World According to Garp』(1982)である。結婚はしたくないが子供は欲しいという強いポリシーを持つ看護師が、植物状態の患者と性交渉して妊娠する。こちらは女性が看護師(グレン・クローズ)で、当時は女性が一方的に性交渉しても性犯罪としては描かれていない(女性が告発しないし、男性側は植物人間だから)。そして、物語はそのようにして生まれた男の子ガープ(ロビン・ウィリアムズ)の生き様を追う内容だった。これに関しては、そういうポリシーを持つ女性という設定上必要な描写であったので致し方ないと思う。とはいえ、学校のビデオライブラリーで借りてその一室で見始めたが、冒頭のこの看護師の利己的な行為が全く理解できず、興味も失って集中力も切れ、もう観賞するのを止めた。それ以来20年以上、この映画の続きを観ていない。

ペネロペ・クルスは勿論美しかったけれども、ボサボサ頭で美しさを全面に出していないところが良かった。

ある時から美女美女しておらず、演技で勝負という作品にシフトしている気がする。彼女は、同じくアルモドバルの『ボルベール<帰郷>』(2006)あたりから、演技に開眼した印象を受ける。

ハリウッドに出稼ぎに行ってもスペイン人俳優と結婚し(勿論ハリウッドで活躍している旦那さんだけれども)、故郷スペインの監督作品でどんどん活躍しているところにスペイン愛を感じる。

ペネロペは、目鼻立ちは若干異なるが、時々オードリー・ヘップバーンに見える。二人は顔の輪郭がそっくりだ。まるでオードリー・ヘップバーンのラテンテイストみたいな感じがする。

  • テーマは子どもの取り違えという重いもの
  • スペイン内戦下での集団殺戮というテーマもある
  • 描き方がサラリとしていて、どのテーマも中途半端で理解が難しいと感じる一面も
  • 出生も死も人の力の及ばないという達観にも似た広い視点
  • リアリティは追求されていない
  • ペネロペ・クルスはいい味出している
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