アメリ(2001)|Le Fabuleux Destin d’Amélie Poulain☆フランス|ジャン=ピエール・ジュネ|オドレイ・トトゥ|マチュー・カソヴィッツ

すてきな恋愛

この記事には広告が含まれます

アメリはパリのモンマルトルでひっそりと暮らす心優しき若い女の子。周囲の人々の小さな幸せを密かに仕掛けるファンタジー。風変りな彼女によるちょっとした手助けが町の人々を幸せにし、やがて彼女自身の愛の物語が紡がれていく。人生の中に潜む奇跡と温かな微笑みが交錯する、夢幻のラブコメディ。

mm
mm

映画『アメリ』は、2001年に公開されるやいなや、その独特の世界観と魅力で観客の心を掴みました。ジャン=ピエール・ジュネ監督が描くこの物語は、ただのロマンティック・コメディにとどまらず、深い感受性とユニークな視点で観る者を惹きつけます☆彡

原題Le Fabuleux Destin d’Amélie Poulain
公開2001
ジャンル恋愛
監督ジャン=ピエール・ジュネ
出演オドレイ・トトゥ、マチュー・カソヴィッツ

出典:Sony Pictures Classics|Official Trailer

mm
mm

以下の動画配信サービス・レンタルサービスで視聴できますよ☆

サービス名サービス本作の
利用状況
無料お試し期間費用
Amazon Prime Video配信30日間 
※但し有料作品あり
月額600円
年間5,900円
U-NEXT配信31日間
※但し有料作品あり
月額2,189円
ザ・シネマメンバーズ配信×7日間月額880円
TSUTAYA DISCAS宅配DVDレンタル30日間or14日間定額8プラン:月額2,052円
定額4プラン:月額1,026円
YouTube配信
購入 or レンタル
なし購入:HD画質/2000円、SD画質/1500円
レンタル:HD画質/300円
※詳細はYouTube参照
※2024年7月時点の情報です。情報には変更がある場合がありますので、必ず各サイトをご確認ください。

以下は本作に対するmmの感想と考察です、ネタバレが含まれますのでご注意ください

主人公の女の子が、自分の幸せはそっちのけで、他人の幸せのために奔走する話・・・、これってどっかで・・・。ジェーン・オースティンの「エマ」!

でも、世界観は全く違う。エマがするのは、あくまでも「恋愛」の仲介。ジェーン・オースティン小説のテーマはいつも貧乏貴族の結婚、玉の輿ばかりだ。エマの世界は、当時の貴族階級の社会背景にある。彼女の行動は結婚や上流社会の噂話に翻弄され、社会的な期待や制約に強く影響されている。当時、結婚というのは女性にとって一生の大仕事であるから、家系の運命も背負った一生の就職先について血眼になるのは寧ろ普通のことなのかもしれない。けれども、どうしてもゴシップ的で下世話になってしまう点は否めない(しかし、同時代の女性作家、ブロンテ姉妹はもっと頭の中が洗練されていて、同じ恋愛をテーマにしていても人間の苦悩にフォーカスしていたっけ)。

一方、『アメリ』のアメリ・プーランは、1990年代のパリのモンマルトルという比較的小さなコミュニティに住む若い女の子。彼女の行動は自らの自由な心と想像力に基づいている。アメリの世界は、エマのように社会的な階層や期待に縛られることはない。現代社会であるから、何も背負うことなく、独自の方法で人々の幸せを追求することができる。

そして、アメリが手助けするのは「恋愛」ではない。人々のちょっとした幸せだ。目線が低く、上流貴族と結婚して玉の輿等という打算はこれっぽっちもない。身近な人が少し幸せになることを願っての純粋な行動である。これも「エマ」とは大いに違う点だ。

たとえば、昔同じアパートに住んでいた男が失くした少年時代の宝物を見つけて届けることで、その人の人生に希望を取り戻させたり、盲目の老人に付き添って街を歩く際に小さな幸せの解説を加えることで見えない世界をカラフルに彩ったり。CAの友人に頼んで、庭のノーム人形に世界各地の名所で写真を撮り、アメリのお父さんに世界各地からエアメールしてもらい、お父さんに人生を謳歌する勇気を与えたり。

アメリの魅力の一つは、その手の込んだ細やかな手助けにある。彼女の手助けは一見些細なものだ。その積み重ねが周囲の人々の心に深い影響を与える。

アメリの手助けのスタイルは、彼女の心の中にある「善意」を具体化し、また彼女自身の孤独感を和らげる手段でもある。この細やかさと温かさが、アメリというキャラクターにリアリティと共感をもたらしており、観客が彼女の行動に深く感情移入できる理由となっていると思う。

時にアメリのいたずらが過ぎて、ブラックユーモアが効いている。中でも、八百屋のパワハラオヤジにいじめられる店員を救うため、オヤジに一泡ふかすための小細工は秀逸だった。オヤジの部屋に忍び込み、数々の小細工をし、オヤジをノイローゼに陥れる。部屋の電球をわざと暗いものと交換、スリッパを少しだけ小さいサイズに交換、ドアノブを表裏反対に付け替えてドアを開けるのに手こずらせる、電話機に登録している母親の電話番号を全然関係のない電話番号に登録しなおす等々・・・。熱心に、あらゆる角度から小細工を施すアメリの姿はまるで凄腕のスパイのよう。それはそれで爆笑してしまう。

アメリは、他の人と異なる感受性と独自の価値観を持ったキャラクターだ。子供時代のアメリの表情はまるで奈良美智が描く、断固として大人社会に「NO」を突きつけるあの少女とソックリだ。

子供の頃から一人遊びが好きで、人と関わるのが得意ではないアメリ。家庭内での愛情不足や、周囲との距離感から生じた感情的な隔たりを抱えており、その影響で自己肯定感が低い。大人になるにつれ孤独が増していく。

大人になったアメリは、寝る前、「アメリ・ブーランは誰にも愛されずに人知れず若くして死ぬ」という妄想をする。そして、その妄想に押しつぶされそうになって一人寂しく泣く。

そう、アメリは、いわゆるコミュ障のネガティブモンスターだ。

アメリの物語は、こうしたネガティブな感情や孤独とどう向き合い、どう変えていくかという過程を描き出している。

子供時代、孤独に育った子が大人になると、同じく孤独を抱える人々の気持ちに敏感なる。

アメリは自らの内面的な葛藤や不安感を外部に出さず、他者の幸福を作ることで自らの孤独を癒そうとする。彼女の周囲に対する気配りや小さな善行は、彼女自身の自己満足や他者からの承認を求める欲求からくるものであり、その行動は彼女が抱える内なるネガティブな感情を和らげる手段となっている。

物語が進むにつれて、アメリは自身の内面的な葛藤と向き合いながら、次第に他者との関係の中で自己を見つける過程を経る。彼女が他者に対して施す小さな親切は、最終的には彼女自身の幸福にもつながるという形で描かれている。このように、アメリのネガティブな思考は、物語全体を通じて彼女自身の成長と自己発見へと繋がっていく。

アメリの物語を通して描かれる「ネガティブな感情」は、単なる欠点や不幸ではなく、彼女の成長や自己理解を促進する重要な要素として機能する。彼女の人生は、彼女が自らのネガティブさと向き合い、それを乗り越えることで、他者との真のつながりを築く過程が丁寧に描かれる。

ジャン=ピエール・ジュネ監督の作品には、しばしば独特なブラックユーモアが見受けられる。そして、可愛いい中にも若干のオトナなシーンが垣間見える。『アメリ』も例外ではない。

外見上は非常にカラフルで夢幻的。パリの街並みやアメリの独特の住まいは、まるで絵本のように美しく、観る者を一瞬で魅了する。

しかし、所々、人間の肉欲がサラっと織り込まれていて、アメリの可愛い世界観にそぐわないのでは?というシーンが数か所あった。

たとえば、アメリが勤務するカフェの店員(タバコ売り場)とストーカー的なお客の恋愛が成就する瞬間。二人がカフェの電話ボックスで行う激しいメイクラブシーン。コメディとして間接的かつ面白く描写しているパートであるが、アメリの可愛い世界観の統一性を考えると、少々リスクがあると思った。

他にもある。アメリが暇なときには、今パリで何組のカップルが絶頂に達しているか?と想像するというエピソードや、アメリの(真剣な恋愛相手とではない)過去のベッドシーンなど。

これらは、決してグロテスクな描き方ではない。けれども、この作品を「単なる白馬の王子様待ちのお姫様願望なだけの可愛い作品」にする気は毛頭ないという前提(というか意思?)を感じる。ジュネ監督のユニークな描写は、『アメリ』を単なるロマンティック・コメディに終わらせない。

ジュネ監督が特に意識してオトナな描写を盛り込んでいるというよりは、非常にフランス的になのかもしれない。恐らく、何も気にしていない所と思われるから。そこがいい。

先にジュネ監督の『デリカテッセン』(1991)を観ていると、こういうオトナのシーンもサラリと挟み込んでくるよねと納得感はあるかもしれないが、『アメリ』を可愛い世界満載の映画と勘違いした人にとっては多少の違和感を感じるかもしれない。

『アメリ』の成功は、オドレイ・トトゥあってのものだ言っても過言ではないだろう。彼女にとってはこれ以上にないハマリ役となった。

オドレイ・トトゥが演じるアメリ・プーランは、その愛らしさと独特のキャラクターで、観客の心を鷲掴みにした。彼女の演技は、アメリの無邪気さと同時に、繊細で内面の深い感情を見事に表現した。彼女の微笑み、目の輝き、独特の仕草は、アメリというキャラクターに非常にリアルでありながらも、どこか幻想的な魅力を加えた。

さらに、暗さと無邪気さが絶妙に融合し、それでいてコメディエンヌとしての才能も発揮。彼女の表情や動き、そして細かいニュアンスが、アメリというキャラクターの純真さと奇抜さを完璧に体現しており、その結果、観客は彼女の演技に心を奪われる。彼女が見せる笑顔や、ちょっとした仕草、声のトーンは、すべてがアメリの世界観に溶け込み、非常に魅力的だった。

一方で、他の作品では彼女の演技は控えめで総じて印象が薄い。『エステサロン/ヴィーナスビューティ』(1999)、『スパニッシュアパートメント』(2002)、『愛してる、愛してない・・・』(2002)、『ダ・ヴィンチ・コード』(2006)、『エタニティ 永遠の花たちへ』(2016)に出演しているけれども、残念ながらどれも『アメリ』には及ばない。どこか大人しく、物足りなく思えてしまう。

『アメリ』でジュネ監督の世界観に共感した人は是非、『デリカテッセン』(1991)を観てみよう。

映画『デリカテッセン』は、ジャン=ピエール・ジュネとマルク・カロによる1991年のフランス映画。ブラックユーモアの絶妙な表現が光る作品だ。この映画は、暗黒社会的な未来社会を舞台にした奇妙なストーリーと視覚的な美しさが特徴で、特にブラックユーモアが炸裂。物語は、戦争で荒廃した未来の世界を背景に、都市の一角にある肉屋が舞台。肉屋の経営者は、店のために人肉を調達し、その肉を料理して客に提供する。この設定自体がすでにブラックユーモアの一環であり、人肉というショッキングな要素をコミカルに扱うことで、観客の期待を裏切る。

『アメリ』のように可愛い世界ではないのでついていけないかもしれない。しかし、『デリカテッセン』は『アメリ』の世界観の原点のような作品であるので、『アメリ』に垣間見れるグロさとブラックな所を深堀するには最適だ。

『デリカテッセン』の主人公は、『アメリ』に登場する変質的な録音魔のカフェのお客、ドミニク・ピノン。

  • 他人の幸せを手助けする物語は、ジェーン・オースティンの「エマ」と類似するけれども、多くの点で根本的に異なる
  • アメリの物語は、子供時代から離れないネガティブな感情や孤独とどう向き合い、どう変えていくかという過程を描き出す
  • アメリの手助けは手が込んでいて、時にいたずらが過ぎる所が爆笑
  • 何といっても、オドレイ・トトゥが可愛く、彼女の代表作
  • 『アメリ』の世界に共感できた人は是非、『デリカテッセン』(1991)を観てみよう

error: Content is protected !!