ジョンとメリー(1969)☆USA|ピーター・イェーツ|ダスティン・ホフマン|ミア・ファロー

すてきな恋愛

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相手もよく知りもしないでベッドインした男女がどのようにして恋人同士になっていくかを丁寧に描いています。目の前にいる相手は果たして恋人となり得るか、一挙手一投足を観察して恋人にふさわしいかどうかを見極める様は、まるで就職活動の面接のようです。観れば、きっと似たような経験を思い出すのではないでしょうか☆

独身男女で混雑するバーで意気投合した男女は、酔った勢いで一夜を共にした。翌日、何とも離れがたく思っている二人は、各々自身の過去の恋愛を思い出しながら、お互いの素性やこれまでの恋愛について会話を重ねて相手のことを知っていく。

原題John and Mary
公開1969
ジャンル恋愛
監督ピーター・イェーツ
キャストダスティン・ホフマン、ミア・ファロー
オリンピア・デュカキス

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以下は本作に対するmmの感想と考察です

ほぼダスティン・ホフマンとミア・ファローの会話劇である。そのまま舞台にできそうなくらいシンプルな構成。

ダスティン・ホフマンは、『卒業/The Graduate』(1967年)よりも本作の演技の方が断然良かった。『卒業/The Graduate』のキャラクターには未だに共感できないから。また、本作の彼は何故か時々ハンサムに見える。

本作のダスティン・ホフマンは料理好きの建築家である。リビングに大きい窓があるメゾネットで、とても良いアパートに住んでいる。家具や食器もおしゃれでシンプル。自宅に仕事場を設けている。

一方、ミア・ファローはアート系女子という感じ。まだまだ学生時代の延長という感じで、友人と共に暮らしている。少女のようなワンピースにベリーショートヘア。ツイッギーのように極めて華奢な身体をしていて、小鹿のように小柄。キラキラする大きな目が印象的。鼻もそれほど高くなく東洋人のような風貌。非常に独特な顔立ち、ハイファッションな雰囲気をまとっている。性格の方も自由奔放。几帳面でうんちくの多いダスティン・ホフマンとは対照的。

早々にベッドインしたのだからお互いある程度好きなんだろうけれども(少なくとも生理的なレベルでお互いを受け入れることができるということは確認済み)、相手に自分の想いを悟られないようにしないといけない。

だって、自分の本当の気持ちを知られるということは何より恥ずかしい。それに、相手が自分と同じレベルで自分のことを思ってくれているかどうかはわからない(まだ会ったばかり)。ここで暴走したら、一番傷つくのは自分。そして、出会って直ぐに好きになるには相手を知らなさすぎ。それは危険過ぎる。

夜が明けて、しらふでまともに会話した二人の頭の中では、こんな想いが戦いが繰り広げられていただろう。突如やって来た「恋人候補」に動揺しつつも、どこまで距離を詰められるか。相手の発言に超敏感になり、過去の失恋も蘇る。そして未来のことまで想像して先走る妄想。

相手がどこまで自分のことを好きになってくれているか。相手がクールでスマートに接すれば接する程、相手の本心が見えず、それ程好かれていないのかなと勝手に落ち込む。

恋人になるかもしれない相手ともっと仲良くなりたいけど、本心をストレートに表現できない複雑な男女の心の内が丁寧に描かれている。

二人の名前は最後の最後まで明かされない。わからないまま物語は進む。通常の男女の出会いのプロセスとは正反対の道を辿る二人の物語の象徴的な部分である。

二人はジョンとメリーという名前だった。(しかし、原題はJohn and Maryなので、本当は”マリー”ではないか(確かに、ミア・ファローがラストで自身の名前をMaryと言ったシーンは、メリーとも聞こえなくもない))。日本で言うと「ヒロシとヨーコ」とか。

英語圏の名づけ方法は、日本と全く発想が異なるように思える。昨今の日本は、名づけにあたって「唯一無二」感を優先順位として挙げる傾向にあると思う。我が子のために新しく言葉を創る作業のように思っている親が多いと思う。実際、名前の場合、当てよみも多いし(名前の場合、当て読みが許容される)、見たことない漢字の並びの名前が多い。

英語圏では、ジョンは昔も今も大人気なポピュラーネームだ。街を歩けばジョンに当たるくらい、本当にジョンという人は多い。キリスト教の聖人ヨハネに由来する。キリストのお義父さんのヨハネということか。英語圏の名づけの方法は、キリスト教由来で名づけることが基本のようなので、どうしても同じような名前が繰り返し名づけられるということなのだろう。日本と違って、子供の名前を唯一無二にしたいという願望はあまりないのかもしれない。

映画界で変わった名前と言うと、リバー・フェニックスとその兄弟たちの名前は非常に独特で異彩を放っている。リバー、サマー、レインボー、リーフと自然由来の名前で攻めている(ホアキン・フェニックスは例外)。両親がヒッピー出身であるから、ユニークな発想だったのだろう。それでも、名づけにおいて、日本のような造語というのはほぼ発生しないようだ。

本作の主人公二人は、ごくごくありふれた名前の男女。つまり、どこにでもいる男女の恋愛に至るプロセスという意味で、ありふれた名前の男女としたのではなかろうか。

ミア・ファローと言えば、ウッディ・アレンである。私が二人の存在に気が付いた時、既に二人は養子への性的虐待をめぐって泥沼の戦いをしていた。

ミア・ファローの最初の夫はフランク・シナトラ、次がピアニスト、そして次がウッディ・アレン(未婚)というのだから、ストライクゾーンが広いというか振り幅がすごい。

ダイアン・キートンもウッディ・アレンの印象が強い。その後、ダイアン・キートンは姉がシャーリー・マクレーンのウォーレン・ベイティに行き、アル・パチーノへ行く。

ミア・ファローもダイアン・レインも、男性の選択においてジャンルを超えた振り幅がすごいけれども、もしかして相当のモテ男なのはウッディ・アレンなのかもしれない。

似たような設定の作品として、ゴールディ・ホーンの『バタフライはフリー/Butterflies Are free』(1973)がある。こちらも出会ったばかりの男女二人の会話劇が中心で、元々は舞台の映画化。男女のキャラクターが本作とは全然違うということもあって、本作とはずいぶん違う。でも、同じような心理戦(相手は自分のことをどう思っているだろうか)という点も描かれていて、本作と比較して鑑賞すると面白いだろう。こちらは場所がアメリカ西海岸というのも、物語に大きく影響しているのかもしれない。

  • 恋人候補との心理戦を描いた作品
  • 一日の出来事を描いた、ほぼ舞台のような会話劇
  • タイトルにはどこにでもいるカップルという意味合いが含まれている
  • 小鹿のようなミア・ファローが見れる
  • 西海岸を舞台にした類似作品に『バタフライはフリー』がある

ジョンのアパート

– Riverside Drive (between West 77th & 78th Street) Manhattan, USA

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